素晴らしい人生だったと言えるのか、どうなのか

◆元日本赤軍 丸岡受刑者が死去

例外はあるにしても若い時は血気盛んなものである。ために「何でもやれる」「不可能はない」と考えがちで、己の望む方向に走りがちな傾向がある。
丸岡修もそういった者達のひとりで、日本赤軍メンバーとして1973年のドバイ日航機ハイジャック事件、1977年のダッカ日航機ハイジャック事件に主導的立場で関与し名を上げることになった。

丸岡の行為をどのように評価するか、若しくは評価されるかは評価する者の立場によって異なるが、当時の丸岡自身にとっては満足できるものであったのではないかと思う。

しかし敵(少なくとも味方ではない)に捕縛され、老い、病気も抱える身となった時になって、若い時の己の行為をどのように評価していたのだろうか。後悔なのか、輝かしい時代としてなのかは知る由はないが、闘いの最中に死ねなかったことを悔やんでいたかもしれぬ。
2011年05月29日