《君が代》について

《君が代》は「天皇の治世を奉祝する歌」であり1880年ごろに作られ、1890年の教育勅語発布以降は学校を通し「祝祭日に歌ううた」として強力に推し進められた。その後《君が代》は学校儀式では国歌として扱われるようになったものの、国歌として正式に制定はされなかった。 当時の「《小学修身書》巻四」には以下の記述がある。
>>私たち臣民が《君が代》を歌ふときには,天皇陛下の万歳を祝ひ奉り,
>>皇室の御栄を祈り奉る心で一ぱいになります。
また国定教科書では「天皇の治世の永遠の繁栄を祈る歌」と規定された。

ところが敗戦後日本国憲法が制定され、「《君が代》は日本国憲法の精神に反する」ということから国歌として(あるいは国歌と同等に)扱うことができなくなった。
それが1958年版の小学校学習指導要領で「祝日など学校行事での斉唱が望ましい」とされ、1977年の指導要領改訂時には「教育課程審議会での議論を一回も行わず」に国歌として規定した。という経緯がある。

学校という教育現場を用いての押し付けは戦前の方法と全く同じである。しかし戦前と違い《君が代》の歌詞の意味を積極的に教えようとしなかったために、《君が代》は若年層にも広まったものの「日本国憲法の精神に反している」ということを認識できていない人が多いのが実態である。

先において自民党野中官房長官は《君が代》を国歌とする法制化案を持ち出したが、この発言は日本国憲法の精神を踏みにじろうとする由々しき行為である。
日本国憲法の制定後半世紀を経ようというのに政府部内において日本国憲法の精神をまだ理解できない人がいるのは驚愕いがいの何物でもなく、小渕総理は責任を取り野中官房長官ともども議員を永久辞職すべきであろう。
1999年04月11日