上野千鶴子と大沢真理は愛に縁が薄い女?

今手元に『新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす 』がある。今日から読み始めたのでまだ出だし部分ぐらいしか読んでないが、内容は中々に充実しているような気がする。ただ西尾幹二氏と八木秀次氏との対談形式であるにも関わらず、どういうわけか対談相手に言ってるようには見えない表現の箇所があった。

例えば以下の部分。
繰り返し言いますが、上野千鶴子さん、大沢真理さん、あなた方は、結婚もしてないし、子供も育てていないし、家庭も持ってないのでしょう。そういう女性は他のどんな分野で発言することも許されていますが、家族・家庭・性教育・子育て・女性労働・女性学などには発言する資格はなく、発言すれば、バランスを欠いた反逆的議論、アウト・ロー風の発想になるのは生理現象かもしれません。社会的にははた迷惑です。
 おそらくあなた方は、子供の頃から勉強はよくできた女の子で、ここから先は推測ですが、男に対する優越感はあったけれど男から本当に愛されなかった、それで復讐心だけが肥大化したと、そういうタイプの女性でしょう。
 それがたまたま東京大学に職を得て、いまの東大はおかしいから、そういう人を迎え入れるという構造が生まれ、また官僚の中でも気の弱い男性をうまくとりこんでいった。
 そして・・(以下、省略)
察するに、上野千鶴子や大沢真理がこの本を読むだろうという前提で「編集段階」で挿入したのではなかろうか。

もしこの推察が当たっているなら、上の部分より先に書かれていた以下の部分も同様の趣旨と捉えることができる。
私は上野千鶴子さんや大沢真理子さんの顔を見たことはありませんが、多分、愛されないタイプではないでしょうか。ここであえて断言しておきます。
 女性には四つのタイプがあり、(1)同性にも異性にも愛される女性、(2)同性には好まれるが異性からは相手にされない女性、(3)けっこう一部の異性には相手にされるが同性からは毛嫌いされるし、本人も同性が嫌いでたえられない女性、(4)同性にも異性にも無視される女性、の四つです。
 失礼ですが、ご本を拝読していて、上野さんは(3)のタイプ、大沢さんは(4)のタイプなのではないでしょうか。お二人とも何を言われてもビクともしない、ものすごい闘将ですから、私もあえて遠慮なく申し上げます。
 愛されたこともないし、結婚もしてないし、子供を育てたこともない。そういう女性はたくさんいて、学者や芸術家になって立派な業績を上げた人も、実業家や聖職者になって一世を風靡した人もいます。残念ながら、そういう人たちは他のどんな問題に発言されるのも許されるが、この問題、ジェンダーフリーや性教育や子育てや夫婦がらみのことや女性の労働問題などに口を出す資格がないわけで、これらの討議から直ちに退場してもらいたい。女性として、この方面の問題にまったく関与していなかった人ですよ。夫婦や親子の関係を築いて、愛したり愛されたりという営みや子育てに関与してこなかった人間が、偉そうな口をきき、しかも政府に関与し、そしていろいろな形で上からの「白色(ホワイト)革命」を実行してくる。こういうことが行われる自体に、私は憤慨の念を禁じえません。
まだ読んではいない部分をパラパラと流し読みしても上野千鶴子や大沢真理についての言及箇所があるようだ。そういう意味において幾分偏り気味的な気はするものの、反ジェンダーフリー側から書かれたものなので突出気味の傾向はやむなしとなろうか。
ジェンダーフリー側とて捏造や曲解を繰り広げがらも表面上は事実であるかのように装ってる面も見受けられるから、プロパガンダ的手法はつき物と言えようか。
2005年11月17日