子供たちを蝕むジェンダーフリー

子供の頃に絵本を読んだり、子供向けのお話しを読み聞かせてもらった人は少なくないと思う。それらのお話しは多岐に渡るが、子供の情操(美しいもの、すぐれたものに接して感動する、情感豊かな心。道徳的・芸術的・宗教的など、社会的価値をもった複雑な感情)教育に適したものとなっている。
子供向けのお話しは時代に応じて新しいお話しが作られる時はあるものの、私たちの世代が子供の頃に親しんだお話しは今なお健在である。

ところが慣れ親しんだお話しが、今やジェンダーフリーによって切って捨てられているという。例えば桃太郎での「お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川で洗濯を・・」といった描写はジェンダーフリー思想に照らせば問題となるらしい。
この辺りの事情については以下を参照のこと。

 「おじいさんは山に芝刈りへ、おばあさんは川で洗濯に」というのは、性別役割分担の固定だからいけない。男女共同参画に関する全国の講演会で初めに行われる劇は、おばあさんが山に芝刈りに行き、おじいさんが川に洗濯に行き、洗濯が意外に重労働だと気付くところから始まる。そこに流れてきた桃から生まれてきたのが女の子「ももこ」。ももこは、鬼退治に行き、鬼が改心したので連れて帰ってくるストーリーに変えられている。

物語の改竄は文化破壊に留まらない。
 「桃太郎をももこにするのもいけませんし、鬼を連れて帰ってはならないのです。鬼は、人の心に住む悪を象徴しているから、退治しないといけないのです。『さんびきのこぶた』でも、オオカミに勝つということは、未熟な自分を消化したという意味です。いずれの物語も人の成長には苦労や試練が多いけれど、必ず勝利するという人生への励ましのメッセージが含まれているのです」
つまり物語で示されている教訓を子供たちが身に付けることができなくなってしまうのだ。

またその一方でジェンダーフリーの視点から描かれたお話や絵本が出回っているという。
  結婚が嫌いな姫が、次々に求婚する男性に難癖をつけて追い払い、無理難題をこなした王子にはキスをしてひきがえるに変身させてしまう。そのため、誰一人トンデレラ姫と結婚したいと思わなくなった。「それからというもの、トンデレラ姫はいつまでも幸せに暮らしましたとさ」で終わる。

 『シンデレラ姫』は結婚して幸せになるという話だが、どうやらジェンダーフリーの観点に立つと、男性との結婚で女性の幸せが決まるというのがいけないとなる。異性に頼らず、女性が独身を貫いて幸せを勝ち取れ、と。これは女性に、結婚し母となる喜びや幸せを奪う思想だ。
物語の改竄の背景として以下の見解がある。
 なぜ、こうした改竄が行われるのか。作家、松本侑子さんは著書で、「グリム、アンデルセン童話」には、強烈な女性差別がある」「それは一言でいえば、『受動的で無知で家庭的な女は幸せな結婚をする。しかし、自分の意思や願望をもって行動する女は悪者として罰せられ、殺される』というわかりやすい図式だ」と訴える。絵本書き換えの背景に、深い憎悪がある。だが『トンデレラ姫物語』を小さい時から親に読み聞かせられ、育った少女は本当に幸せになれるのだろうか。

何とも凄まじい限りである。「女であること(女として生まれたこと)」に自己嫌悪を感じ、それが世間や男性に対しての憎悪に転化し、その結果ジェンダー思想が生まれたと言っても過言ではないだろう。しかも子供たちに対して偏向的意識を植え付けようと企むに至っては、自身と同じ位置に落としてしまおうというのと同じである。
2005年11月16日