毎度のバカバカしさ

何気なくニュースを見ていたら「謝罪がなんたら」とのテロップが目に留まった。
ニュースの内容は三年前に東京駅で万引き犯を捕らえようとしたコンビニの店長が犯人に刺し殺されたことに関し、遺族が「正義感で行ったのだから(犯人は)謝罪して当然」とか「考える時間は三年間もあったのに」などの発言を扱ったものである。

何か事件が生じるたびに「(犯人が)謝罪をした・してない」「(犯人は)反省してる・してない」といったことが決まって取りざたされる。
取り沙汰されるのは謝罪や反省の有無を重要視する人が少なくないためだが、こういった事例に出くわすたびに「世の中には馬鹿が多い」ことを痛感する。

謝罪とは「罪やあやまちをわびること」であるが、罪や過ちと思ってなければ詫びる必要は生じない。しかし相手の剣幕を宥めたり恭順の意を示して不利益を多少でも減らす目的がある時には、先の条件に当てはまらないにも関わらず詫びる姿勢は時たま見られる。

それはさて置き、警察や被害者は頭から容疑者が「罪を犯した」と決め付け謝罪や反省を要求するわけだが、容疑者が彼らと同じ次元にいるかどうかを考慮することはない。
というか、容疑者の倫理観と警察や被害者の倫理観が一致してるとは限らないにも関わらず、警察や被害者の倫理観を一方的に容疑者に押し付けて謝罪や反省を求めてしまうため、容疑者が謝罪して当然と思ってしまうのである。

ところがこのような単純なことを理解できず、或いは理解しようという気が無いために、先の「考える時間は三年間もあったのに」とか「正義感で行ったのだから」などという馬鹿げた発言をし、結局のところ物笑いのネタを提供してることに全く気づいてないのである。
2005年09月05日