読書

読書といえば今では雑誌のたぐいぐらいしか読まなくなったが、子供の頃は本の虫と人に言われるほどあらゆる書を読み耽った。また小遣いの大半を書物の購入につぎ込んだが、子供の小遣いはたかが知れているので指をくわえて眺めるしかすべのない書物も多くあった。

今の子供は読書をあまりしないという声を聞くが、私の場合何らかのきっかけで本を読み始めたというわけではない。物心ついたときには既に絵本を読んでいて、読むことが途切れなかったというだけのことである。
とは言っても振り返ってみるならば、私が置かれていた環境が関わりを持っていたのだろうとは言える。親は本をまず読まなかったけれど兄弟は読んでいた関係で、見よう見真似で読んでいるうちに読書の面白さに執り付かれたものと思う。
そのせいか小学校に入学した後に文字を覚えるのに苦労したという記憶がない。かと言って親や兄弟から字を教わったという記憶もないので、面白く読み進める本での漢字に付け加えられていたルビが漢字の学習に役立っていたということなのだろう。
子供の頃の私は読書が生活の一部として定着していたが、小説を読むと頭が痛くなると言っていた手合いが比較的多かった。小説は漫画とは異なって状況設定を頭の中で組み立てなければならないために、状況を読み取る作業が苦痛をもたらしていたものと思われる。とはいえ本には挿絵が含まれているのもあって状況把握の助けになるのであるが、いったん小説を苦手だと思ってしまえば益々足が遠のくのであろう。
読んだ本の傾向は多様であるが常に興味を抱きつづけた傾向もある。それは冒険・奇譚・怪奇といった傾向であって、ロビンソン‐クルーソーやロビン‐フッドそれにシャーロックホームズやアルセーヌ・ルパンといったものを小学生時代には特に好んだ。が、時が経つと冒険より怪奇に比重が移った。
エドガー・アラン・ポーの一連の作品を手始めとしてラブクラフトの作品やブラム・ストーカーの吸血鬼などなどである。主として西洋の作品が多いが江戸川乱歩とか小栗小栗虫太郎それに横溝正史や夢野久作の一連の作品も読んでいる。

蔵書でもこれらの傾向のものが大部分である。しかし小説を殆ど読まなくなった時点で整理してしまったので手元には何冊も置いていない。手元にあるこの傾向の小説はポオ全集3巻とラブクラフト集の内2巻、それに怪奇幻想の文学全巻ぐらいなものである。
後は小説ではなく澁澤龍彦や種村季弘の評論や、その他諸々の評論・解説書が幅をきかしている。
蔵書で冒険・奇譚・怪奇といった傾向に次ぐものは戦争や軍事に類するものである。殆どが大東亜戦争に関した書物であるが、中には近代の戦争というタイトルの全集があって日清戦争・日露戦争までもが含まれている。また戦記物だけでなく天皇や満州帝国ついて記された書物もあるが、これら戦争関係の書物は現在手元にはおいていない。

幼少の頃より読みつづけたこれらの本は、本を読まなくなった現在も影響を与えつづけている。勿論読み続けた裏には私の心の中に反応する部分があったわけであるが、それが何であるにせよ、本を読むことによって心の中にあった何かが表出する機会を得たのであり、当サイトの掲示板名が百鬼夜行や魑魅魍魎であるのも表出の結果である。
1999年02月03日