「天皇制という癌」を取り込んでしまった日本国憲法

国立公文書館には民間の憲法草案はひとつしか登録されてない。

記事によれば
この草案に影響を与えたといわれる民間の「憲法草案要綱(憲法研究会)」
ということなので、私が探しているものとは異なるよう。

日本国憲法は戦後の比較的早い時期[1947年(昭和22年)]に制定されたが、これには理由があった。それは戦後社会運動が活発したが、それが落ち着けば国民は憲法に目を向けくるのは確実なので、占領政策に天皇を利用しようとしていたGHQは、そうなる以前に日本国憲法を制定しようと思い、天皇制を残したいと思っていた日本政府との思いが合致して、異例の速さの憲法制定になってしまった。

当時において、民間が手がけていた憲法草案は既に複数あり、その中には天皇については全く触れない、共和制政治体制のものがあったという。

自民党は今の日本国憲法は「GHQから押し付けられたもの」と殊更主張するが、それは一般国民からしても同じ思いである。「天皇制という癌」を含めてしまったのが日本国憲法の誤りで、日本が実質的に民主主義国家になれないのはこの癌があるのがひとつの理由である。

二つ目としては朝鮮戦争が勃発したために、早々に日本を独立させてしもうとしたことが挙げられる。そのため日本を民主主義国家に変えてしまおうとしていたGHQの取り組みが中途半端な状態となって、名目的には民主主義国家であるものの実質的にはそうではない状態に留まってしまった。
日本社会は今も「全体主義」に縛られ続けており、日本国憲法で「国民は個人として尊重される」と規定されていても、個人より集団に重きを置こうという傾向が強い。また封建制度での代表的な身分制度(格差)も頑として残っており、象徴にすぎない天皇を殊更持ち上げようとするのはその現れのひとつである。また会社・学校といった場における「肩書」「年齢」による身分制度(格差)を当然のこととして捉えられているのもその現れである。

それは日本政府には【身分制度(格差)】を是正しようという気は全く無いためで、小学校学習指導要領の道徳についての指針には、低年齢の段階で「親や教師への敬愛」を取り込み、【格差をつけるのは当たり前】とし、格差社会を保っていこうする姿勢がありありと見て取れる。
2017年04月08日