狭山事件の真実は?

これまで狭山事件は「特殊部落民」と「差別」とを抱き合わせ、冤罪との掛け声のもとに語られる時の方が多かった。しかし世間一般をも巻き込んだレベルにまで高まることはなく、一部の訳ありな人達を中心として声高に叫ばれてきただけであった。それが2000年5月22日、「日本語の練習問題です」と名を打った、狭山事件の犯人として確定した石川一雄の再審請求を世論のレベルまで高めようという趣旨の意見広告が紙上に出された。

以下の文面は、その意見広告に対してのコメントバックである。

----------------------
意見広告について

朝日新聞5月22日掲載の意見広告はある意味において興味深いものである。この意見広告が狭山事件の犯人と確定された石川一雄の再審要求を、世論として喚起する意図が込められたものであることは見て取れるが、「一般大衆の錯誤を狙った」如くの内容にはいささか不信を覚えるものである。

上段においての「警察署でそれを写す練習を何十回もさせられましたが・・公判で述べています」との表現では、石川一雄が「一方的に述べただけ」のか、それとも取り調べに当たった「警察官も認めた」のかが不明である。しかし物事の吟味とは無縁の人であるなら、例え石川一雄が一方的に述べていた場合でも「事実なんだ」と錯誤してしまう可能性が生じる。
下段の「そこで問題です」においての答え方には「正しいと誤り」の二種類しかない。解答が「前もって定められている」場合においては「正しいと誤り」の二種類でも用が足りるにしても、物事は必ずしも単純に「正しいと誤り」のどちらかに割り振れるとは限らない。そのため「正しいと誤り」の他に「どちらとも言えない」「分からない」を加えるべきであって、このままでは「解答を故意に誘導」しようと意図してるのと同じである。

私が上段のニ種類の脅迫文面を眺めつつ問題に答えるのであれば、問題1から問題4については「どちらとも言えない」というしかない。また問題5については(イ)を「あなたはAとBを同じ人が書いたと判断しますか?」に置き換えるのであれば、「非常によく似ているので同一人物の可能性が高い」と答えるであろう。

「狭山事件の説明」において「家が貧しかったために小学校も満足に行けなかった石川さんは、当時、読み書きも十分に出来なかったのです」と如何にも思わせぶりな表現をしてはいるが、小学校に行かなくても文字の習得は可能である。石川一雄が人里離れた地で世間と隔絶した生活をしていたのならともかく、埼玉県狭山市富士見一丁目に居住していた石川一雄は読み書きができる人から教わることもできたはずだ。
そのため石川一雄に脅迫状を作成できる可能性が生じ、「読み書きも十分に出来なかった」という話しは「石川一雄には脅迫状を作成できない」と暗に匂わせる材料としては不充分ということになろう。

上段に「これが脅迫状であるかどうか分からなかった」との箇所があるが、これには甚だ疑問を感じる。それは2種類の脅迫文面を見比べた場合(B)の文面は(A)の文面より遥かに漢字が少ないという特徴があり、(A)で使われている漢字を石川一雄が読めなかったと仮定するなら「誰かが読みを教えている」ことになる。
例え読み書きが不充分であっても、話し言葉を用いた会話までもが不自由だとは言いきれず、取り調べ官が脅迫状の文面を読み上げていればその時点で意味を理解出来たはずだ。そしてまた逆に会話に不自由がなければひらがなだけの文を作成する道が開け、漢字を他者から教えてもらう事によって漢字混じりの脅迫文に仕立て上げることが可能になる。
つまり石川一雄が(A)で使われている漢字を読るか否かはさほどの意味を持たず、「手本となる漢字」を「他者から教えてもらえる環境」に石川一雄が居たかどうかだけなのだ。

狭山事件は特殊部落や差別と殊更結びつけて考えられがちである。特殊部落民だから「罪を押しつけられたのだろう」と。しかしこの考え方は「最初から冤罪だ」と決めつけているのと等しく、石川一雄が真犯人であろうとなかろうと無罪であったことにしてしまえば良いというのと何一つ変わりない。
たとえばこちら においての「狭山事件」年表には万年筆についての不可解な記述がある。良く考えないで一連の流れを見て行くと、1回目と2回目の家宅捜査では発見されなかった万年筆が3回目の家宅捜査で発見されているので、「万年筆の発見はでっち上げ」のように見て取れる。しかもでっち上げを更に強調するが如くの「1992 7・7   第1回家宅捜査をおこなったD元刑事が「カモイに万年筆
はなかった」と証言(鴨居は捜索済みだった)」というものまでもある。
しかし第1回目の家宅捜査後に石川一雄は一旦保釈されているので、一度調べられたところの方が安全だろうという気持ちから、別な場所に隠しておいた万年筆を鴨居に移した線が生じる。だから必ずしも第1回家宅捜査での鴨居の検査結果は重視できるとは言えない。また第2回目の家宅捜査において「鴨居は既に検査した」という気から良く調べなかった可能性もあるので、3回目の家宅捜査で発見されたからといって必ずしもでっち上げとは言えない。それに家宅捜査に参加した刑事が「手抜き家宅捜査」と思われたくないために正直に話さないことだって十分にありえるからだ。
------------
2000年05月23日