生前退位は天皇制廃止への道筋に繋げられる

天皇についての数々のイメージの殆どは明治期に形作られたものである。

天皇は尊王の武士によって祭り上げられ明治政府に日本国のトップとして位置づけられる以前においては、天皇についての大衆の認知度は低く、天皇が住んでいた京都を中心にし関西地方において、かろうじて宮司として認識されていた程度であった。
そのために天皇はどこの馬の骨であるかを知らない大衆が殆どだったために、明治政府は「天皇はこれこれの人物である」といった通達を何度も発布して啓蒙に努めざるをえなかった。

その中でも特筆すべきことは天皇を現人神と位置づけてしまったことである。西欧各国では長らく(キリスト教の)神をメインに据えていたために教会の権力は凄まじいものであった。しかし時代が進むに連れて神離れが生じ教会の権威は薄れてしまった。
明治政府は西洋各国の文化・思想・技術力を大々的に取り入れて日本の近代化及び富国強兵に務めたものの、西洋各国では既に打ち捨てられつつあった神を時代に逆行して採用してしまった。

現人神とされた天皇を主軸としていた日本であったが、大東亜戦争の敗戦により日本占領軍によって天皇ヒロヒトは現人神の座から引き下ろされ「人間宣言」が行なわれた。
天皇ヒロヒトは本来は連合国による戦犯裁判によって絞首刑になるはずだった。しかし日本の占領政策には天皇ヒロヒトを利用したほうが得策と思ったマッカーサーの進言によって天皇ヒロヒトを戦犯から外すことを連合国に司令部が受け入れたために、天皇ヒロヒトは戦犯裁判にかけられることなく命を永らえることとなった。

しかし当の天皇ヒロヒトはマッカーサーの思惑を知る由もなかったため、命乞いのためにマッカーサーを訪問した。そしてマッカーサーに退位をほのめかしたものの、日本占領政策のために天皇ヒロヒトを利用しようと思っていたマッカーサーは退位を受け入れなかった。
実は退位については、進駐軍がやってくる以前において、天皇ヒロヒトは当時の侍従長に「退位すれば(戦犯を)許してくれるかもしれない」と漏らしていたぐらいで、真剣に退位について考えていたようである。

本来ならば天皇ヒロヒトは敗軍の将として自決するべきであった。それが退位すれば命だけは助けてもらえるかもしれないという甘い期待があったために、礼装でマッカーサーを訪問しての命乞いとなったわけである。
当時民間レベルにおいて、「天皇ヒロヒトは敗戦の責任を取るべきだ」「天皇ヒロヒトは退位すべきだ」といった意見が日増しに高まっていた。しかし民間レベルの声の拡大をマッカーサーは恐れた。そのためにマッカーサーは天皇を各地に訪問(巡幸)させて民衆をなだめることを計画し、そのかいがあって天皇に敗戦責任を求める声は次第に薄れていった。

第二次大戦は1945年に終結した。その後、敗戦国の憲法を定める作業が行なわれたが、日本国憲法は1946に公布された。それに対してドイツ憲法(ドイツ連邦共和国基本法)の公布は1949年であるが、日本国憲法の策定を急いだのには理由があった。
敗戦後の日本では日増しに社会運動が活発になっていた。そのため社会運動が一段落したら民主の意識は憲法および天皇向いてくるはずだという危機感から、GHQは日本国憲法を早急に策定して発布してしまおうとしたのである。現に当時においてすら憲法草案が民間から復数発表されており、天皇制を存続したいと思っていた当時の日本政府と天皇を占領政策に利用したいと思っていたGHQとの思惑が一致して、天皇制を盛り込んだ日本国憲法が早々に発布されることになった。

天皇は穀潰しであり天皇制は日本の癌でもある。にも関わらず天皇を利用して益を得ようと思う者達にとっては、天皇を廃してしまうことは死活問題となる。人殺しの安倍晋三が率いる自民党及びその他の政党の政治家が天皇の復権を意図し、君が代および日の丸を日本を代表するものとして位置づけようとし位置づけてしまったのも天皇復権に向けての地ならしであって、民衆をたぶらかすための手段として天皇利用を促進させよとしてるためである。

日本国憲法における天皇は神輿の上の飾りであって神的は無論政治的な力を有してない。日本帝国憲法では天皇は日本の主であり陸海軍を統帥していたが、天皇ヒロヒトは敗戦の責任を取って自決するどころか退位すらしなかった卑怯者であるばかりか、禁治産者同然の扱いを受けて何ら咎められずにのうのうと生きた。

ヒロヒトの息子である今の天皇アキヒトは大東亜戦争での指揮権はなかったが、親であるヒロヒトが逃れようとした敗戦責任は当然ながらアキヒトに受け継がれる。このアキヒトが今回退位をほのめかして物議を醸しだしているが、老齢のために職務遂行が困難というのがその理由らしい。しかし皇室典範での定めには反してるので「天皇は政治には口出ししてはいけない」という不文律(憲法との兼ね合い)のために堂々とは表明できない。

憲法とは違って皇室典範は一般法律なので内容の変更は容易い。なので皇室典範の内容を変更して天皇自ら退位表明を出来るようにするなら、併せて皇位継承者の即位拒否も盛り込むべきであろう。そうすれば天皇及び皇位継承者を奴隷扱いしている状況の改善に結びつく。
更には摂政は皇族の中から選ぶとされてるのを「日本国民の中から選ぶ」に改めれば、憲法上の天皇の位置づけはそのままでも、天皇制を段階的に廃止するための地ならしに使うことができる。

生前退位、皇室典範改正が必要=明治以降は「終身在位」−欧州では退位相次ぐ
2016年07月14日