何が必要かは明白

◆いじめ加害者たち 罪悪感なく「面白い」「楽しい」

いじめなんて昔からあることだし理由にも変わりはない。違いがあるとしたら動機ぐらいである。にも関わらず昨今でいじめが問題視されるのは、いじめられた側が「自殺する」ケースが増えてきたためである。

いじめの発生と教育は全くの無関係ではないが「善悪教えない教育」にあるわけではない。基準によって異なる善や悪を教えることは元々が不可能なのであって、「勧善懲悪」なる絵空事のように単純ではない。
人は「平等であらなければいけない」「みんな仲良くしなければいけない」といった蒙昧ごとを教えようとするから、「人は平等ではない」「誰でもとは仲良く出来ない」といった当たり前のことが軽視されてしまうのである。
自殺した一人は
香澄さんは冷静につぶやいた。「お母さん、優しい心が一番大切だよ。その心を持っていない、あの子たちがかわいそうなんだよ」。香澄さんはその4日後、自宅で首をつった。
とのことであるが、「優しい心」なんていうことを重視していたからこそ報復する(相手を傷つける)ことを選択肢から除外し、(仲良く出来ないのであれば)これ以上は耐えられないと自身を傷つける(自殺)ことになったのである。

つまり教育においては「報復の精神」と共に、「相手は倒して自分は生きる」という生存性について教えるべきなのだ。そして現時点では報復は困難でも「江戸の敵を長崎で討つ」との言葉のように、大人になってから報復することを胸に秘めて現状では耐えて「恨みを溜め込め」と教えることこそ教師の勤めである。
そして親たるものは子供がいじめられている気配を察したらなら、学校を休学させて空手なりボクシングなりを身につけさせて報復できるよう取り計らうべきなのだ。

随分前の記事に同窓会を仕切ってビールに毒薬を入れ、昔いじめられた相手を毒殺しようとして未遂に終わったという事件があった。これなどは先ほど述べた「江戸の仇を長崎で討つ」に相当することである。
2012年10月24日