随分昔のことだが

■アフガン人警官?の乱射事件続発、6米兵ら死亡

といってもどれくらい前なのかは覚えていないが、確かイギリスの作家でマホメットを揶揄した作品を発表したのち、その作家を殺すための刺客がおくられたことがあった。で、その作家は逃げ続けてどこかに潜伏しているということまで報道されたが、その後どうなったかまではまるっきり覚えてない。

またどこかの駅前で、その部分だけをコピーしたものを無料で配布していた人がいた。貰って読んだ記憶があるが、どういった内容だったかは覚えてない。しかしその作品の日本訳をした人(どっかの大学教授だったと思う)が、イスラム系の人に襲われて首を切られたなんていう報道を読んだ記憶はある。

更に遡る昔には、キリストの解釈を変えた映画(イエスが結婚して子供を作り・・、だったような気が)が日本で上映されることになり、映画館に上映禁止を訴える人が集まったとかもニュースで知った。
私はそんな映画を見る気は全くなく、記事で問題部分とされる箇所を知ったわけだけど、上映される他の国で一大騒動となったという話を聞いた覚えはない。

日本人だと解釈は人それぞれだから「まあ、まあ、穏やかに」ということになるんだけど、宗教にのめり込むと気ちがい同然になってしまうわけで、『他の考え方は一切受け入れない』のが信仰だと分からないわけではないが、それはあくまでも理屈上の話で心情を理解できるまでには至らない。
キリスト教関連の話題で盛んに討論をした時期はあり、牧師や神父に勝るとも劣らないほどの知識を身につけつつ特有の考え方によって叩きのめすことはさほど困難ではなかったが、信仰する神のためには一切を捨てられる人がいるなどとは思えなかった。

キリスト教の歴史において殉教した人たちがいることは当然知っていたが、それは、たまたまそういう状況に見えただけで心情的には違っていたはずだという私の見解は今でも変わらないが、殉教ではなく単に敵対相手を殺すだけの目的というのは、寛容や容認は全く持ち合わせてないことなのだろう。
イスラム教の経典は読んだことがないので内容については知らないも同然だが、ジハード(聖戦)を容認してないとイスラム教系統の人が語っていたことはあるので、「どういう解釈をするのか」ということが結果の相違となって表れることになるわけで。
2012年09月17日