破廉恥な栗原家

◆尖閣諸島、11日にも国有化…3島一括購入

記者会見の場で長男は「石原慎太郎が東京都都知事なので東京都に売却したい」と述べ、その弟は「兄は慎重な人なので」と東京都が上陸申請した時に上陸同意書を渡さなかった理由を聞かれた記者に答えた。のは記憶にあたらしいことである。

にも関わらず20億円の札束を目の前にしてではなく、「少なくとも20億円で売れると思った途端に手のひらを返し、最終的には20.5億円にまで値段を釣り上げての売却」とは呆れる他ない。
売却金額が20.5億円であっても税金で半分は取られるので実質10.25億円ぐらいしかならないが、資産価値は6億円程度(政府関係者による示唆)と言われていた島々を遥かに上回る金額で売却しようなんてのは「栗原家の欲深さ」を顕にするものである。

尖閣諸島は1895年に時の政府から古賀辰四郎に30年間無償貸与され、古賀辰四郎が1918年に死亡すると古賀善次が権利を受け継いだ。1932年には政府から古賀善次に対して南小島、北小島、魚釣島、久場島の四島が15000円で払い下げられて私有地となった。1978年に古賀善次が死亡すると未亡人の古賀花子が相続した。
1972年に北小島と南小島が栗原家に4600万円(との報道)で譲渡され、1978年には魚釣島を1988年に久場島が栗原家に譲渡された。

しかしこれらの金額は貨幣価値によって実質金額が異なってくるので当時の物価情勢を調べてみないと現在なら幾らに相当するかは不明であるものの、20.5億円での売却は栗原家の欲深さを示す指標となるだろう。

石原慎太郎は青嵐会が結成されていた(1973 - 1979)時代に古賀花子と面談したことがある。石原慎太郎の弁によれば花子は
あの島々をこの国のいかなる政治家にも預けるつもりはありません、私たちは戦争中政府から酷い目に会わされ、飛行機会社の用地のためということで一方的に広大な所有地を奪われ、戦後もこの屋敷の半ばを市の区画整理のために削りとられましたので、自分の財産は自分自身で必ず守ります。
引用元
と答え、石原慎太郎は返す言葉も無く引き下がったそうである。

それが栗原家に譲渡したことによって「古賀花子の意志とは裏腹に」政治家に売却されることになったわけで、今も古賀花子が生きていたとするなら栗原家の人たちを恨めしく思ったかもしれない
それは7月20日に栗原弘行氏が外国特派員協会で会見を行った事に関わる記事において、『栗原氏の父である栗原国起氏が友人の関係にあったことなどから、経済的な目的ではなく古賀家の歴史を重んじたいとの思いから、1970年以降、栗原家に譲渡されていったという。』ことであって、古賀家の歴史を重んじてというのであればその意思を尊重すると申し入れたために譲渡をされたとも受け取れるからである。
引用元

栗原家が尖閣諸島三島を国に売却するとなった事によって、今後尖閣諸島について語られる時には「金に目が眩んで言質を翻した破廉恥な栗原家」と言われるようになるかもしれない
2012年09月07日