慣例では三人殺せば死刑なのだが

◆光市母子殺害事件について

二人しか殺してないのに死刑というのは慣例破りだ。地裁・高裁ともに無期懲役だったのに最高裁が審理差し戻した時点できな臭さを感じたものだが、「殺せ!殺せ!」という声に押しきられた形になってしまった結果となった。

個人的には死刑を容認してないので殺すことに意味を見いだせないが、報復殺人を希望しかつ「自分の手を汚さない代理殺人」を求めていた被害者家族(本村洋)にとってはお盆と正月が一度に来たほどに喜んでいるのであろう。

死刑廃止は世界的な潮流であるが、日本が頑なに死刑を存続し続けてるのは「権力に刃向かう者への見せしめ」としての死刑制度だからであって、被害者の気持ちがどうたらと法務大臣などが述べたりするは建前でしかない。国家機関が個人の報復機関として機能すれば独裁国家と幾らも変わりなくなるが、そこまで極端でないにしても日本社会では下位の者は上位の者に忠誠であらなければならないなどといった権力構造を保ってきてるので「見せしめ制度」をなくすことができないのである。

戦後日本は民主主義を取り入れたものの奥底の権力構造までは変えようとはしてこなかったために、形ばかりの人権は容易に剥がれやすく本心がむき出しになる状況が多々ある。しかし本心をそのまま表面に出してしまうのには差し障りがあるために「被害者が何とか」とか「何がなんとか」とかと名目上の理由を持ち出すわけで、このような権力構造のために異例の「二人殺しただけで死刑確定」という茶番となってしまったわけだ。
2012年02月20日