ウィキペディアの飯山一郎ページ

このページは当初、飯山一郎自身によって作られた可能性が高いことは以前に述べたが、つい先日ベージの冒頭近くに以下の内容が書き加えられていた。
飯山一郎は、自己のHPに於いて、[ウィキペディアの情報にはインチキが多く、「ウィキペディアに書いてあります!」なんて言うシトの情報も珍糞菅が多い。ウィキには一切頼らない! この姿勢は、真に創造的な知的作業には絶対に必要である。]などとと主張している。
第三者の書き込みを装ってはいるものの、その実、飯山一郎の手によって書き込まれたことは明らかである。彼を擁護しようという人物がいることなど考えられないのはもとよりとして、内容が飯山一郎にとっては「都合良いもの」であるからだ。しかもページ構成を度外視して場違いな箇所に挿入するという低落では、「なりふり構わなくなった」飯山一郎しか考えられないということである。

ウィキペディアにはページごとに「ノート」「編集」「履歴表示」というタブも設けられており、編集履歴を見ればどのような過程を経て現在のページが出来上がったのかを調べることができるが、飯山一郎のページが最初に作られた時の内容は以下であった。
飯山一郎(いいやまいちろう 1946年1月17日生まれ)は、発明家. 栃木県生まれ。県立真岡高校、立教大学法学部卒業。 1990年,上海で汚泥処理機『グルンバ』を発明する。
ウィキペディアの編集方針では「本人が編集を行なっても構わない」とされてるので、飯山一郎が自身についてのページを編集すること自体は問題にならない。しかし「客観的・中立性」が求められ、典拠を明らかにすることも要求されており、当然ながら本人の飯山一郎も例外ではない。

飯山一郎のホームページには、彼の生年月日や学歴に関したことは書かれてない。少なくともトップページの項目にはそれをうかがい知れるものは見当たらない。丹念に全てのページを見ればどこかに書いてあるにしても、誰でもわかるような方法では示されてないので、生年月日や学歴についての内容が含まれている記述をしたのは飯山一郎本人しか考えられない。
投稿者は「Satoko1180」になっているが、同じ投稿名での書き込みは18回行われている。その間に5人が編集に加わっているが、そのうちの一人はIPのままであるものの追加内容から判断すれば、Satoko1180と同一人物と見て取れる。それ以外の4人は、カテゴリーの付け加え、数字を全角から半角に手直し、内部リンクの手直し、特筆性のテンプレート貼り付けを行なうのみに留まっている。
それ以降においては構成の見直しをした人物を除き、IPのまま「光合成細菌による放射能の除去」という新たな追加書き込みをした人物も飯山一郎の公算が大きい。

さて、話を戻せば、冒頭近くで引用した内容を飯山一郎が付け加えた理由は、ハッタリの道具としてウィキペディアに作ったつもりのページが、飯山一郎の「真実の姿を示す」内容に化けてしまったことを知ったからであろう。
そのためウィキペディアの内容の信頼性についてどうのこうのと言い出しているわけで、お粗末な能書きというしかない。なんせ飯山一郎についてのページをウィキペディアに作ったのは彼自身だし、ウィキペディアに書いてあることなら信頼されるだろうと踏んでのものであったはずだからだ。ご苦労なことよ。
2011年08月23日