PC-VAN : 事件断片記録

オウム教の陰謀
 喉元過ぎれば熱さを忘れる。ではないが、世間を震撼させた犯罪も大抵の人にとっては次第に風化してしまうものである。しかし記録として残しておくならば、当時の状況を生々しく蘇えさせられるのは勿論のこと、当時とは異なった視点によって新たな発見へと結びつく場合もある。
都内地下鉄線で薬品撒く

 20日朝8時過ぎ、都心部の地下鉄15駅で化学薬品らしいものが撒かれ、乗客200人以上が病院に運ばれ、10人が重体。毒性強いアセトニトリル検出。同時多発的犯行と見て捜査。

[読売 3月20日]  ( 1995-03-20-10:32 )
 この記事は地下鉄にサリンが散布された初期の報道であるが、今ではオウム教が犯人であったことが確実になっている。しかし事件発生時点ではオウム教とサリン散布を直接結び付けられる証拠はなかったものの、憶測と疑惑が先行していたため、記録に含めたようなオウム教側の弁明が発表されることにもなった。
 当時の私はオウム教のサリン散布に懐疑的であった。それは三流小説なら犯人はオウム教で決まりだが、優秀な人材を揃えているはずのオウム教が墓穴を掘るような安易な行動に打って出るとは思わなかったためだ。しかしいくら優秀な人材を揃えていても統率する麻原教祖が丸っきりのあほでは、集団としての行動もあほを絵に描いたごとくにならざるをえない。

 サリンを直接散布したのはオウム教ではあるが、オウム教のサリン散布には警察(国家権力と言うべきか)の影が見え隠れしている。つまり警察がオウム教を潰すためサリンを散布するよう、追い込んでいた形跡が少なからずあるということだ。
 しかし今回はこの形跡に付いては記録に含めていない。それは近日提示予定の「警察犯行記録」に含めるつもりでいるためだ。

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1998年07月05日
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