PC-VAN : アンギラス行動記録 1

〜奇人アンギラスとパソコン通信今昔物語〜
 PCVANにはNIFTYやPCS(アスキーが運営していた)には見られない特有の風土があった。NIFTYは主催者が会員の行動に積極的に関与し、PCSは主催者が会員との協調路線を目指していた。しかしPCVANの主催者はこれといった方向性を打ち出さなかったため、会員が自由に或いは気ままに行動する自由風土が出来上がった。
 自由風土の場では規制されていた場での奇人・変人が大手を振って闊歩する。また従来規制されていた様々な事柄が試みられるといった反面、試みは規制された場でしか生きる方法を知らない人たちにとって顔を顰める光景でしかなかった。そのため自由人(奇人・変人)対不自由人といった構図が鮮明となって、両者の葛藤劇が至る所で繰り広げられた。

 BBSの開拓時代、奇人・変人は斬新ゆえにもてはやされた。しかし不自由人が次々に参入し開拓時代の幕が下りるようになると、奇人・変人は身の振り方を考えなければならなくなった。不自由を嫌いBBSを去るか、不自由人の仲間入りをするか、それとも奇人変人を押し通すかの三通りだ。
 罵倒術をものにせんと努力していた萩原(細田氏)のように不自由人の仲間入りをした人は多い。不自由人の仲間入りをしても開拓時代に得た財産によって、本来の不自由人より優位に立つこともできるからだ。

 アンギラスは奇人・変人の道を選んだ。アンギラスがなぜ奇人・変人の道を選んだかを掴んでないが、アンギラスが師と仰ぐ人物と何か関係があるのかもしれない。この人物に付いてはここで紹介されているが、アンギラスは師の歩いた道を辿ろうとしているわけではないだろう。
 アンギラスの行動には最後までやり遂げようという意思が見られない。多少の障害に出会えば尻尾を巻いて逃げ出し、そしてまた同様なことを行うといった中途半端さだけが目立つ。「火中の栗を拾う」「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という言葉があるが、アンギラスの能力では栗を拾ったり虎児を得ることはできないと早く気付くべきだ。
 しかし気が付かないからこそアンギラスは同様なことを繰り返してきたのだろう。或いはアンギラスが師と仰ぐ人物との関わりによって、アンギラスなりに何かを掴もうとしているのかもしれない。そのいずれにせよ、また別の理由にしろ、アンギラスの行動はPCVANの過去を知っている人たち以外にはまず理解されない性質のものである。
1998年02月02日
Copyright © 完全変態 1998 All Rights Reserved.