PC-VAN : ハッタリ事件

ハッタリ事件」とは、1992年の2月後半から3月半ばにかけ、FREEボードで起きた飯山一郎と三鷹板吉をめぐる論争であり、この名称は編者及び記録解説者のRICEが命名したものであるが、この辺の事情をRICEは以下のように述べている。
「ハッタリ事件」としたのは、二人の争いだけでなく、他の人も巻き込んだFREEを揺るがす論争であったことから事件と呼ぶのにふさわしく、また、飯山さんの「ハッタリでした」という謝罪MSGが上がり、これを受けて、三鷹さんが飯山さんに「ハッタリ父ちゃん」という称号を与えたことにより「ハッタリ」は事件を表す象徴的な言葉となったのです。
この事件が生じた時期には私はまだPC-VANには入会しておらず、当然ながら係争には参加してない。また「記録」カテゴリーは、私が直接関わった事柄を解説しつつ、ログも閲覧できるように配慮した場である。そのためこれまでハッタリ事件のログは「Booksログ保管庫」で収納提示してきた。
しかし最近になって、ハッタリ事件の一方の当事者である飯山一郎と関わりを持つようになり、人物像の資料としてハッタリ事件のログを活用してきたことから、この際、他の人々にも「飯山一郎とはどんな人物なのか」が的確に分かるよう、オンラインでも読めるよう配慮しようと思ったのである。

とは言え、約20年前の事件であり、分量も相当あるので読む気まではしないというのが正直な気持ちだと思う。そこで要点を簡単に紹介することにする。

当時のPC-VANでは、「ネット内のことはネット内で解決する」という暗黙の了承事項のもとに、コミュニケーションが成り立っていた。しかし飯山一郎は話を「ネット外に持ち出そうと」しただけでなく、その方法が暴力的であったために係争が紛糾することとなった。

つまりは「刃物をちらつかさせて恫喝する」といった暴力団紛いの方法を、飯山一郎は好んで用いたわけで、手足として使っていたチンピラの存在をほのめかして暴力行為を高らかに表明したり、「萩原に頼まれれば中村は殺してやる」などと殺人宣言まで行なったため、身の危険を感じたhavocは、事故に見せかけて「殺されてしまう」と恐慌状態に陥った。

また暴力行為が伴う恫喝が三鷹には効果ない思った飯山一郎は、警察や弁護士の知り合いが何人もいてなどと、「存在してない他者」を恫喝の道具として持ち出し、告訴するぞと息巻いたものの、受けて立つと宣言した三鷹の前では手も足でず、結局は『ハッタリでした』と謝罪して見物人から失笑されることになった。

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先に述べた飯山一郎との関わりについては「エッセイ」に書き連ねていますので、最近の飯山一郎の実態について興味がある方はご覧ください。
2011年08月14日
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