女性専用車両と性別問題

私的なものであれば、メンズクラブやウーマンズクラブといった特定性別のものはさほど問題にならない(ならなかった)。イギリスでのメンズクラブは伝統的でもあるようだが、かって日本において、とある男性専用カントリークラブに女性国会議員が噛み付いたことがあった。カントリークラブそのものは珍しいわけではないものの、男性専用を唄っていたカントリークラブの存在が気に入らなかったというわけだ。
男女共に同じ場所を共有するのにそれなりの味はあっても、女や子供から解放された「男同士の場」には別の味がある。女においてもそれが当てはまると思うが、当時においては男女同権を履き違えた馬鹿な女性国会議員という評があった。

女性専用車両はメンズクラブやウーマンズクラブのように、特定性別の人たちが歓談したり楽しむための場として用意されたわけではない。歓談が行われるにしても、公共交通における運搬が本来の目的だ。
鉄道による旅を楽しむことが目的なら、グリーン車や個室、若しくは車両単位を対価を払って借りる方法がある。そういう意味において、対価を払うことを前提とした女性専用車両ならばさほどの問題にならない。但し、女性専用車両と対極の位置にある、男性専用車両も導入されているという前提は必要だ。

交通機関において、何らかの基準により両者を分けていた例は、かっての米国における白人と黒人の区分けに見ることができる。黒人が白人の席とされた場所に座ろうものなら大問題で、黒人には選択権は最初からなかった。
日本における女性専用車両は、女性の意思によって乗る車両を選択できるものの、男性には選択権はないに等しい。そういう意味では、日本男性はかっての米国における黒人と同等な扱いをされてるのとさほど変わらず、人種問題に准えて「性別問題」と呼ぶこともできる。
2006年10月11日