何を言ってるのか

ナイター実施へ 文科相が苦言、だと。

私はプロ野球には興味も関心もないので、ナイターが行われようと行われまいとどうでも良いことである。しかしこの度の震災や計画停電に絡めて「けしからんことである」とか「国民の理解が得られない」などといった苦言には『何の寝言をほざいてるのか』という他はない。

「何々であれば、何々でなければならない」といった定型化、若しくは思想統制に似た押し付けを好む輩は少なくないにしても、政府の人間が行うのは決して好ましいことではない。しかも文科相の発言を問題とは捉えられず、同調するかのような発言をする者達は頭の中に糞が詰まっているのと同義である。

そもそもが計画停電なるものが飛び出してきたのは東電の原子力発電所の機能停止にあり、原子力発電所という危険な施設の建設を「政府が容認」し、地元でも建設に対して容認したことによって、今の事態が生じたことを忘れてしまってはいけないのである。

火力発電や水力発電であるならひとつや二つの発電所が地震によって倒壊したとしても、電力事情が逼迫するような事態にはならなかっただろう。それを危険が内在している原子力発電に頼り、建設を推し進め、そして地震という突発事態によって電力事情が逼迫する事態に至ったのは、東電は勿論「政府」及び「福島県民」に責任があるのであって、その責任のつけを以外の国民に押し付けようとしているだけなのだ。ということを十二分に理解するべきなのである。
2011年03月18日